【訃報】岩井清隆はなぜ命を絶ったのか理由5点!安否の経緯と遺書で立花孝志を名指し

【訃報】岩井清隆はなぜ命を絶ったのか理由3点!安否の経緯と遺書で立花孝志を名指し

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2025年4月14日、みんなでつくる党の党首・大津綾香さんが、岩井清隆さんの訃報を公表しました。

4月8日には、岩井清隆さんがX(旧Twitter)に「遺書」と題した投稿を残し、その安否が心配されていました。

「死なないで」「誰か止めてあげて」──そんな声が広がる中、多くの人が無事を願っていたものの、その願いも虚しく、岩井さんは翌9日未明に亡くなったことが明らかになりました。

SNSではその訃報に、多くの声が寄せられています。

今回は、亡くなる直前に投稿された遺書の内容や、なぜ命を絶ってしまったのか、これまでの活動、ネット上の反応などを整理しながらお伝えします。

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目次

岩井清隆さんの安否は?訃報を大津綾香が公表

岩井清隆

出典:https://x.com/IWAI_Kiyotaka/

岩井清隆さんが亡くなったのは、2025年4月9日未明とされています。

その事実は4月14日、「みんなでつくる党」の公式サイトと、党首・大津綾香さんのX(旧Twitter)にて公表されました。

「私たちの大切な仲間であり、ボランティアスタッフとして心血を注いで活動してきた岩井清隆さんが、4月9日未明、自らこの世を去りました」

党の声明では、岩井さんがSNS上の誹謗中傷に悩んでいたことにも触れられています。

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岩井清隆の遺書に記されていた内容とは?

岩井清隆さんの安否が心配されるきっかけとなったのは、

2025年4月8日夜に投稿された「遺書」と題したXの投稿

でした。

その投稿には、自身が命を絶つ決意をした理由が具体的に書かれており、SNS上ではすぐに大きな注目を集めました。

 

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その中で、自死を選んだ大きな理由として挙げられていたのが、立花孝志氏による言動でした。

「彼の存在と言動、行状がなければ、決して死を考えることはなかったと断言します」

SNS上で住所を晒されたことや、「犬笛」のような投稿によって誹謗中傷を受けたことが引き金になったとしています。

岩井清隆 立花孝志

また、党代表の大津綾香さんに対する中傷が許せなかったことも、遺書の中で繰り返し語られていました。

大津綾香 みんなでつくる党

出典:https://www.instagram.com/p/CzX6bMermUn/?hl=ja&img_index=1

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さらに、名誉毀損による提訴が直接の理由ではないことも明記されています。

 「私の自死は、単に恨みを晴らすということではなく、“最後の手段”として風潮を抑制したいという願いでした」

自身の死が、社会全体への問いかけになることを望んでいたようです。

多くのユーザーが「死なないでほしい」「無事でいて」とコメントを寄せ、リポストや引用が急速に拡散されていきました。

しかしその後、岩井さんのアカウントの更新が途絶え、心配する声がさらに広がることに。

数日後、政党から正式に「亡くなったこと」が発表され、ネット上には悲しみと衝撃の声があふれました。

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岩井清隆とは何者?どんな人物?

岩井清隆

出典:https://chidaism.com/news/20250414-01/

岩井清隆さんは1961年生まれ、都内在住の会社員です。

「みんなでつくる党(みんつく)」ではボランティアスタッフとして活動しており、広報のような役割も担っていました。

特に注目を集めたのが、2024年の東京都知事選で展開された「ポスタージャック反対運動」です。

選挙掲示板の使い方に疑問を持ち、署名活動を立ち上げて3万筆以上を集めました。

あの署名運動を立ち上げたのが岩井さんだったんですね…

さらに詳しいプロフィールは、関連記事でも紹介しています。
岩井清隆は何者?wiki風経歴プロフ|年齢やみんつく党(大津綾香)との関係も解説

SNS上では立花孝志氏やNHK党に対する批判的な発言も多く、そうした投稿が誹謗中傷の対象になっていたようです。

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岩井清隆はなぜ命を絶ったのか?理由5点

岩井清隆さんが遺書で記していた「命を絶った理由」は、大きく5つに整理できます。

理由①:立花孝志に住所をさらされた

立花孝志

出典:https://go2senkyo.com/articles/2025/03/04/107884.html

岩井清隆さんは

立花孝志さんによってSNS上で自宅住所を晒される

という被害を受けました。

「私の住所をXで公開し、いわゆる犬笛を吹いたことと、その前哨である戸田市議選の際の騒動にあります」

それが「犬笛」となって、中傷や嫌がらせが一気に広がったと語っています。

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しかし、

なぜ立花さんは岩井さんの住所が分かったのでしょうか?

その理由は、

岩井清隆さんが立花孝志さんの支持者を訴えていたから

だそうです。

岩井さんが原告だったことから、住所が分かったと立花孝志さんが語っています。

また、岩井さんはそれ以前から立花氏によって「岩爺」と揶揄され、YouTubeやXで繰り返し名指しされていたとも記しています。

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理由②:大津綾香さんへの攻撃を許せなかった

大津綾香 みんなでつくる党

出典:https://www.instagram.com/p/CzT61invCEV/?hl=ja

遺書では、自分に対する中傷よりも、むしろ「みんなでつくる党」代表・大津綾香さんに向けられた過激な言動を強く批判しています。

「私個人に対するものよりも、みんなでつくる党や大津綾香さんに対する常軌を逸した非道な言動こそが許せないものでした」

大津さんが不当な責任を押しつけられたり、名誉を傷つけられる様子を見て、「我慢の限度を超えた」とも綴っています。

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理由③:警察が守ってくれなかった

理由③:警察が守ってくれなかった

遺書には、岩井清隆さんが警察に対して助けを求めた際、真剣に受け取ってもらえなかったと感じていたことが綴られています。

「所轄の警察に通報して、このような言動の抑制を文字通り涙ながらに訴えましたが、その応対は木で鼻を括ったようなものでした」

岩井さんは自宅周辺に現れた不審人物の存在も訴えていましたが、十分な保護や対策は得られなかったようです。

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④ 継続的なネット中傷と孤立感

④ 継続的なネット中傷と孤立感

遺書では、林けんいち氏など、特定アカウントからの過激な誹謗中傷についても触れられていました。

「私が裁判費用の捻出のために行った寄付金活動に対する陰湿な妨害行為がそれに相当します」

また、岩井さんは自ら多くのアカウントをブロックしていたため、反論できずに「言われ放題」だったと述べています。

「逆にそれをいいことに言われ放題になっていたのが実情なのです」

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⑤ 社会への問題提起としての自死

遺書の中で岩井さんは、自死を通じて訴えたかったことも明確にしています。

「私の自死は、単に恨みを晴らすということではなく、“最後の手段”として風潮を抑制したいという願いでした」

ネット上で人が人を傷つけ、制度や正義が届かない現実に抗議するための最終手段として、命を断ったことが語られています。

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ネットの声

岩井さんの訃報を受け、SNSではさまざまな反応が寄せられました。

「どうしてここまで追い込まれてしまったのか…」
「批判と中傷の境目が難しい時代」
「言葉が人の命を奪うこともあるんだと実感した」

 

また、晒しや集団的な叩きについて、制度面やSNSの仕組みに課題を感じる声も目立ちました。

誰でも当事者になる時代…本当に他人事じゃないよね
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まとめ

今回の記事についてまとめます。

  • 岩井清隆さんは2025年4月9日に亡くなり、公式に訃報が発表されました。
  • 遺書では、立花孝志氏の言動やSNSでの誹謗中傷が理由として書かれていました。
  • 警察の対応やネット上の環境も、精神的な負担になっていたとみられます。
  • ポスタージャック反対運動をはじめ、社会的な活動にも熱心だった人物です。

SNSが日常の一部となった今、発信する言葉が誰かの心を追い詰める可能性があることを、改めて考えさせられます。

今回の出来事をきっかけに、誹謗中傷や晒し行為への対策、そして利用者一人ひとりの意識の見直しが求められています。

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